汽車はふたたび故郷へ、ぼくも連れて行ってよ。
本日の日常是映画劇場は、グルジア出身の映画監督オタール・イオセリアーニの、
【汽車はふたたび故郷へ】です。
【ここに幸あり】に引き続き、彼の作品はまだ2本しかみてはいないのですが。。。
もう、シビレますよ。本当に大御所であり、素敵な監督さんです。
何いうハリウッド映画は、映画ファンならずとも見やすいことは、いうまでもありません。
今作品のような静かな画面つくりが、苦手な方も多いと思いますが、
ぼくはこれぞ映画!と、イオセリアーニ節に酔いしれてしまいます。
ましては毎度お話いたしますが、映画監督が映画の話を描くと、
とても愛おしい作品となるのです。
原題【Chantrapas】は、【役立たず】【除外された人】です。
邦題はいささか感傷的な感じがすすぎますね。
なので原題をイメージしてから観ることをお薦めいたします。
映画監督、あるいは芸術家とは何者なのでしょうか?
変人?狂人?キチガイ?はたまたペテン師?詐欺?世捨て人?
日常社会に普通に生きる者には、感覚のみを重視した創造に生きる人は、
当然、生産性を求められるなかでは無能の人です。なので役立たずの烙印を押されてしまう。
人から賞讃や理解されたいと、思うことが無いといえはずないのですが、
裏腹に自分のやりたいことをやるしかないという、他者でなく自己のみの生産性こそが、
芸術家の泉なのでしょうか。
この映画の主人公ニコは映画監督で芸術家です。最後までけして自分を曲げません。
息苦しい共産主義国家での、国家管理下での国策な映画つくりはつらく問題が多い。
検閲で自由な映画など出来るはずもなく、比喩で劇中にでてくる映画映像の、
【トラクターやローラーで踏みつけられる花】は、その象徴でしょう。
しかし、異なる場所であるはずの、亡命先の自由の国フランスでも、
商業主義な映画つくりに翻弄されます。
フランスでの比喩として登場する映画映像【男が花を愛しい女性に贈りますが、
それ以上の大きな花束を贈る男が登場して、女性はそちらに移り気。そして銃で撃たれます】
似て非なる状況下だと思いきや、何かに属し支配されていることでは、
どちらも同じことなのです。国家か?金か?結局はプロデューサーとは上手くはいきません。
どちらも異なるようですが、芸術は国家主義や商業主義には、無用のモノなのです。
そしてどちらの水とも合わないニコ。国家主義?経済主義?
ニコの制作する映画はもう生き場所を失います。
いや、ニコを理解してくれたのは、もはや地上泉ではなく、
水のなかの美のミューズ?人魚だけだった?
それともアンデルセンの人魚姫のように、ニコはもともと人魚で、
この地上では発する声を持てなかったという、あらわれでしょうか。
予想外の展開へと、邦題のタイトルからでは理解しがたい結末へニコ行ってしまいます。
ニコは自分の水を得た魚になるのです。素晴らしい展開だと、ぼくは好きだな。
イオセリアーニ監督じいさんは、映画鑑賞者たちへこう問いかけているのかもしれません。
この映画を退屈で、時間のたるい映画と思う人は、この劇中に登場したきた、
プロデューサーたちと同じですよ!このフィルムのなかに情感を感じてこそ、
国家主義でも、経済主義でもない、感覚と遊びのある芸術のわかる人だと。
ヌケヌケと爺節炸裂ですね。すごいな~この爺さん!最高! 出町光識
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出町光識ホームページhttp://www.mitsunoridemachi.com/
【汽車はふたたび故郷へ】です。
【ここに幸あり】に引き続き、彼の作品はまだ2本しかみてはいないのですが。。。
もう、シビレますよ。本当に大御所であり、素敵な監督さんです。
何いうハリウッド映画は、映画ファンならずとも見やすいことは、いうまでもありません。
今作品のような静かな画面つくりが、苦手な方も多いと思いますが、
ぼくはこれぞ映画!と、イオセリアーニ節に酔いしれてしまいます。
ましては毎度お話いたしますが、映画監督が映画の話を描くと、
とても愛おしい作品となるのです。
原題【Chantrapas】は、【役立たず】【除外された人】です。
邦題はいささか感傷的な感じがすすぎますね。
なので原題をイメージしてから観ることをお薦めいたします。
映画監督、あるいは芸術家とは何者なのでしょうか?
変人?狂人?キチガイ?はたまたペテン師?詐欺?世捨て人?
日常社会に普通に生きる者には、感覚のみを重視した創造に生きる人は、
当然、生産性を求められるなかでは無能の人です。なので役立たずの烙印を押されてしまう。
人から賞讃や理解されたいと、思うことが無いといえはずないのですが、
裏腹に自分のやりたいことをやるしかないという、他者でなく自己のみの生産性こそが、
芸術家の泉なのでしょうか。
この映画の主人公ニコは映画監督で芸術家です。最後までけして自分を曲げません。
息苦しい共産主義国家での、国家管理下での国策な映画つくりはつらく問題が多い。
検閲で自由な映画など出来るはずもなく、比喩で劇中にでてくる映画映像の、
【トラクターやローラーで踏みつけられる花】は、その象徴でしょう。
しかし、異なる場所であるはずの、亡命先の自由の国フランスでも、
商業主義な映画つくりに翻弄されます。
フランスでの比喩として登場する映画映像【男が花を愛しい女性に贈りますが、
それ以上の大きな花束を贈る男が登場して、女性はそちらに移り気。そして銃で撃たれます】
似て非なる状況下だと思いきや、何かに属し支配されていることでは、
どちらも同じことなのです。国家か?金か?結局はプロデューサーとは上手くはいきません。
どちらも異なるようですが、芸術は国家主義や商業主義には、無用のモノなのです。
そしてどちらの水とも合わないニコ。国家主義?経済主義?
ニコの制作する映画はもう生き場所を失います。
いや、ニコを理解してくれたのは、もはや地上泉ではなく、
水のなかの美のミューズ?人魚だけだった?
それともアンデルセンの人魚姫のように、ニコはもともと人魚で、
この地上では発する声を持てなかったという、あらわれでしょうか。
予想外の展開へと、邦題のタイトルからでは理解しがたい結末へニコ行ってしまいます。
ニコは自分の水を得た魚になるのです。素晴らしい展開だと、ぼくは好きだな。
イオセリアーニ監督じいさんは、映画鑑賞者たちへこう問いかけているのかもしれません。
この映画を退屈で、時間のたるい映画と思う人は、この劇中に登場したきた、
プロデューサーたちと同じですよ!このフィルムのなかに情感を感じてこそ、
国家主義でも、経済主義でもない、感覚と遊びのある芸術のわかる人だと。
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by ubusuna-art
| 2012-12-25 12:08
| 映画・テレビ(寄り神)
出会いはアート。アトリエでのアート制作と、夜な夜なの日常是映画劇場のご案内。出町光識の脳内ナビゲ―ション日記
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