はたらくオジサンの源泉。
いつも疑問におもう。。。。なんで一代ではじめた焼き物(陶芸家)は、
このような働き方(ビジネス)をするのだろうと。。。。代々親から継いだ者なら、
それはそれとして門前の小僧だし、その代々のカラーで見せるしかないように思うから、
それとして仕方あるまい。でも、一代で築く仕事なら、
もっと必至で泥まみれノタウチマワッてよいではないかと。
あれもこれもやって、何だかワカランってのがいい。失敗も成功もそれはそれ。
正直なところ、最近の若者は陶芸家(意味不明な職種)の価値も異なるだろうし、
陶芸家という、素敵なライフスタイル夢見る商売から、親から援助も多いのだろうから、
ガムシャらなんて流行らないんだろうけどね。
さて。。。さて。。。
ボクのオヤジは、記憶をさかのぼれば、はじめは東京で石屋さんだった。
次に埼玉に引っ越して、大工さん。おそらくは小学生のころまではそうだった。
それから経済成長にともない、建設業の現場で働くようになり、今も現役で働いている。
お母さんは、飲食業で今でいうスナックを営んでいたママさん。
これはオヤジの東京時代の会社の社長さんから、お金を借りて開いたお店らしく。
オヤジは不義理にも?。。。石屋を退職したにもかからわず、よくお金を貸してくれたものだと思う。
当然その石屋さんの社長さんは、そのような人格の持ち主だから、
りっぱな企業に躍進して、会長さんになったらしい。さてと。。。。お母さんの話。。。
小さなアパート暮らしだったけど、そこには似合わない三面鏡があり、
お店をひらく前の化粧姿や、和装着物したくをボクはよくながめていた。
それは、母親から別の人に変わる様子なので、仮面ライダーやウルトラマンのようで、
なんとなく好きだった。その後の夕食は、親とはいっしょに食べることは少なかった。
たぶん記憶はあいまいだけど、弟と2人で食べることが多かったのだろう。
働き盛りの親父だって、そんな頃には、付き合いも多く、呑み歩いていたに違いない。
それからオヤジとお母さんは副業で、内職仕事する場所を借り、手広く何人も抱えていた時期や、
靴屋さんもしていた時期もある。とにかく教養、学歴は、けして高くないふたりだが、
正直者として商店街で、よく働いていたと思いおこせる。
あるとき、お母さんは30代の半ばに、最後の夢を叶えたいと、
ファンシーショップを始めたいと夢を語った。いまでいう雑貨グッズ店をやりたかったようだ。
どうもボクには、下町チャキチャキのお母さんの口から、
キティちゃんなどのサンリオ商品の話がでたときには、反対した覚えがある。
だって、江戸っ子の口の悪い母親が、可愛いグッズだなんて。。。。どうもビックリしたのだよ。
そして第2の夢であった方を選び、お好み焼き屋さんをはじめた。
どちらにしても、母親の記憶にある、駄菓子屋さんなのだろう。
雑貨グッズ屋さんも、もんじゃ屋(お好み焼き)も子どもの頃に楽しかった記憶なんだろう。
お母さんにもそんな可愛いところ、いや、女らしいのですね。
その後は時代の町の変化に、母親の意識もついていけず、お好み焼きは閉めた。
今では、そんな母親も病院で清掃業をしている。当時はそれなりの若手で??
もう今では古株だろうな。母親が外に働きにいけるなんて、ちょっと驚いたよな。
それからオヤジのお父さん。つまりはジイチャンは、青森で大きな農家。
大きな畑の真ん中で、小さな小屋で牛と住み、畑仕事をやって、よく呑んだくれてたな。
お母さんのお父さん。もうひとりのジイチャンは、上野下谷で紙切り(切断業)の職人。
これまた競馬場外場や、雀荘で呑んだくれ、手先が器用だから、インチキ麻雀でよくおい出されてよ。
とにもかくにも、そんな働き者、いや働き方の血がボクはあるのだろうな。
職人、百姓、客商売が入り混じって、そのミックスされた感覚で、
ボクという陶芸家。あるいは美術家ができている。本来、天才アーティストっていうのなら、
感性のみの勝負だろうけど、ボクのような天才肌でない者なら、見てきたこと、育ったことしかしらない。
職人の手先の動かし方や、手先の感。
百姓の毎日の同じ積み重ねと、天候との相談具合。
客商売の浮き沈みの読みや、接客だろうか。
どちらにしても、見てきたことがそれだから、それしか働くすべを知らないのだ。
さて、この忙しいなか、どう働きましょうか。やれやれ。 出町光識
◇◆◇◆◇展覧会のお知らせ◇◆◇◆◇
福島県立博物館 企画 【漆の芸術祭 東北へのエール】
会期:2011年10月1日~11月23日まで
場所:福島県喜多方市 夢想館(元中学の廃校)
神楽坂暮らす。グランドオープン
飯碗企画 「いただきます。」展
会期:10月5日(水)-23日(日)
■ 出品作家: 川島いずみ(埼玉) 川合孝知(九谷焼) 出町光識(笠間)中田誠(京都) 村上修一(会津 漆) 村上三和子(波佐見) 安見勇人(信楽)
神楽坂 暮らす。(KURASU GALLERY) 03-3235-7758 info@room-j.jp
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
出町光識ホームページhttp://www.mitsunoridemachi.com/
よろしければポッチポッチっとな。
このような働き方(ビジネス)をするのだろうと。。。。代々親から継いだ者なら、
それはそれとして門前の小僧だし、その代々のカラーで見せるしかないように思うから、
それとして仕方あるまい。でも、一代で築く仕事なら、
もっと必至で泥まみれノタウチマワッてよいではないかと。
あれもこれもやって、何だかワカランってのがいい。失敗も成功もそれはそれ。
正直なところ、最近の若者は陶芸家(意味不明な職種)の価値も異なるだろうし、
陶芸家という、素敵なライフスタイル夢見る商売から、親から援助も多いのだろうから、
ガムシャらなんて流行らないんだろうけどね。
さて。。。さて。。。
ボクのオヤジは、記憶をさかのぼれば、はじめは東京で石屋さんだった。
次に埼玉に引っ越して、大工さん。おそらくは小学生のころまではそうだった。
それから経済成長にともない、建設業の現場で働くようになり、今も現役で働いている。
お母さんは、飲食業で今でいうスナックを営んでいたママさん。
これはオヤジの東京時代の会社の社長さんから、お金を借りて開いたお店らしく。
オヤジは不義理にも?。。。石屋を退職したにもかからわず、よくお金を貸してくれたものだと思う。
当然その石屋さんの社長さんは、そのような人格の持ち主だから、
りっぱな企業に躍進して、会長さんになったらしい。さてと。。。。お母さんの話。。。
小さなアパート暮らしだったけど、そこには似合わない三面鏡があり、
お店をひらく前の化粧姿や、和装着物したくをボクはよくながめていた。
それは、母親から別の人に変わる様子なので、仮面ライダーやウルトラマンのようで、
なんとなく好きだった。その後の夕食は、親とはいっしょに食べることは少なかった。
たぶん記憶はあいまいだけど、弟と2人で食べることが多かったのだろう。
働き盛りの親父だって、そんな頃には、付き合いも多く、呑み歩いていたに違いない。
それからオヤジとお母さんは副業で、内職仕事する場所を借り、手広く何人も抱えていた時期や、
靴屋さんもしていた時期もある。とにかく教養、学歴は、けして高くないふたりだが、
正直者として商店街で、よく働いていたと思いおこせる。
あるとき、お母さんは30代の半ばに、最後の夢を叶えたいと、
ファンシーショップを始めたいと夢を語った。いまでいう雑貨グッズ店をやりたかったようだ。
どうもボクには、下町チャキチャキのお母さんの口から、
キティちゃんなどのサンリオ商品の話がでたときには、反対した覚えがある。
だって、江戸っ子の口の悪い母親が、可愛いグッズだなんて。。。。どうもビックリしたのだよ。
そして第2の夢であった方を選び、お好み焼き屋さんをはじめた。
どちらにしても、母親の記憶にある、駄菓子屋さんなのだろう。
雑貨グッズ屋さんも、もんじゃ屋(お好み焼き)も子どもの頃に楽しかった記憶なんだろう。
お母さんにもそんな可愛いところ、いや、女らしいのですね。
その後は時代の町の変化に、母親の意識もついていけず、お好み焼きは閉めた。
今では、そんな母親も病院で清掃業をしている。当時はそれなりの若手で??
もう今では古株だろうな。母親が外に働きにいけるなんて、ちょっと驚いたよな。
それからオヤジのお父さん。つまりはジイチャンは、青森で大きな農家。
大きな畑の真ん中で、小さな小屋で牛と住み、畑仕事をやって、よく呑んだくれてたな。
お母さんのお父さん。もうひとりのジイチャンは、上野下谷で紙切り(切断業)の職人。
これまた競馬場外場や、雀荘で呑んだくれ、手先が器用だから、インチキ麻雀でよくおい出されてよ。
とにもかくにも、そんな働き者、いや働き方の血がボクはあるのだろうな。
職人、百姓、客商売が入り混じって、そのミックスされた感覚で、
ボクという陶芸家。あるいは美術家ができている。本来、天才アーティストっていうのなら、
感性のみの勝負だろうけど、ボクのような天才肌でない者なら、見てきたこと、育ったことしかしらない。
職人の手先の動かし方や、手先の感。
百姓の毎日の同じ積み重ねと、天候との相談具合。
客商売の浮き沈みの読みや、接客だろうか。
どちらにしても、見てきたことがそれだから、それしか働くすべを知らないのだ。
さて、この忙しいなか、どう働きましょうか。やれやれ。 出町光識
◇◆◇◆◇展覧会のお知らせ◇◆◇◆◇
福島県立博物館 企画 【漆の芸術祭 東北へのエール】
会期:2011年10月1日~11月23日まで
場所:福島県喜多方市 夢想館(元中学の廃校)
神楽坂暮らす。グランドオープン
飯碗企画 「いただきます。」展
会期:10月5日(水)-23日(日)
■ 出品作家: 川島いずみ(埼玉) 川合孝知(九谷焼) 出町光識(笠間)中田誠(京都) 村上修一(会津 漆) 村上三和子(波佐見) 安見勇人(信楽)
神楽坂 暮らす。(KURASU GALLERY) 03-3235-7758 info@room-j.jp
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by ubusuna-art
| 2011-10-13 16:39
| 日常(現世)
出会いはアート。アトリエでのアート制作と、夜な夜なの日常是映画劇場のご案内。出町光識の脳内ナビゲ―ション日記
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