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もしかして、びんぼう自慢は言葉をうむのかしら。

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来月の請求書が本日届く。支払いことを思えば、深夜2時のアトリエの蛍光灯は、あまりに暗い。

それでも毎度に変わらぬように、個展にむけて窯を焚きながら、個展にむけて器制作する。

その器を韓国行きで不在にする個展会場にならべて、見ることなくそれらが消えていくのだろうか。

いたしかたないが。それらが消えなくては請求書は消えない。あまりに暗い蛍光灯は、

残り少ない瞬きの死の発光している。しみじみ。。。。。秋の夜長のびんぼう自慢。。。

蛍光灯がピンピンと泣いている。



眠りこけた。。。窯たきだった。4時18分か。

喉がやられた感。びんぼうは喉にもくるのかな?



韓国でのアジア陶磁シンポジュウムで、スライドレクチャー案。あるいは頭の整理。戯言。

①循環する水の器。焼くという行為の特化に陶芸を求めない【極私的】思考法。
(あるいは工芸という水の存在技法と重要性・もしくは水の声)
 陶芸が70年代に素材を思考することで、アート界のモノ派に寄り添い、同一化するふしもあったが、その後はコンセプチャルに焼くという行為そのものが、ある意味での日本陶芸の最高点であり、鯉江良二という極みの答えになる。そこにはもしくは同じ愛知の血?ゼロ次元との復讐の対峙。あの時点でまぎれもなく鯉江良二はアーティストである。(あるいは鯉江さんの思考では、大量生産における個性の埋没のもがき・または陶芸の宿命である模倣することがポップアートを見た親父のもがきか?)それ以降現在において、陶芸家は創作事態に答えは求めない。なぜ焼くか、なぜ作るか?彫刻家との差別化の話など過去昔話。人気がすべて、それはそれでもいい日本文化なのだから。それでも何故に陶芸家は詩をうたわなくなったか。戦争を知らない子どもたちだからか?陶芸でオブジェを焼くことが、単なる技術自慢大会のビックリマンショー特化したからか。一億層総白痴化。無論、これに八木一夫という陶芸神話では、最先端だった高度な職人さんのオブジェ焼きは、語ることはない。あくまでも陶磁器(俗名・陶芸家)におけるアーティスト作家の系譜の思考。

②トグロ糞まみれの器。
古事記にはじまる糞の神。粘土の神。蛇、紐つくり技法。巻き糞とトグロ蛇。母なる大地。おばあちゃん(母)の介護は糞まみれ。糞と大地。あるいは糞は夢の島になり、糞は国土をも増やす。糞と土。あるいは介護において、糞を垂れ流すようになると人でなくなり、施設にいくという生活の基準。食事と排泄。糞まみれは社会からの排泄の境か。人は糞と戦争しているのか。糞だらけ純情。


③鎮魂の器。
震災における海の波。あるいは精神の波を掌で鎮める。あるいは水平線という想定内の基準。もしくは海というモノの読み違い。沈む者との会話。多くの幽霊の存在。あるいは東北事態が他の地方からはすでに神話なのか?遠野物語なのか?あるいは震源の海底の存在は大地の存在であり、土の存在。そこを思えば、国という領土主義自体が想定内の基準か。ここまでくると島という存在。論争にもいってしまうな。それすらも鎮魂する器か。生涯のライフワークか?そんなアイデアだな。


④以上の①~③に関して至る40代の自分にとって陶芸とは詩である。おそらく50代にして愛となり、60にして人生とでもなるのだろうか?そして70になれば想像もできないが、80、90、100?
今にして思えば、2000年のキョンヒ大学でのはじめてのレクチャーで、1番前の席に座り、ぼくに質問をした韓国を代表する偉大なる陶芸家 李康孝さんが、『でまちさん、映画と陶芸共通点はなんですか?』絶句した情けない30代はじめの自分。今では迷わずいえる。【詩・시 】であると。だからこそ、韓国陶芸は強いのだろう。アリランだ。



まあ、こんなこと、夢想しても、陶芸家に必要なのは技術のタネか?

それでも良いな。びんぼう自慢で金はないが詩はある自分。けっこう幸せなのかな。

ある韓国詩人のことば。

시로는 돈도 벌지도 못하고 쌀을 생산하지도 못하며 자동차도 만들지 못한다. 그러나 돈을 벌고 쌀을 생산하고 자동차를 만드는 그 주체인 사람을 즐겁게 만들고 행복하게 만들고 사람답게 살게 만든다.


たとえ、ピンピンと蛍光灯が鳴いても、ぼくは泣いてはいけない。

『貧しくとも自由』心まで貧しくなってはいけない。貧しいことは感覚のあるということだ。

だって、子どもの頃。お金なんか握ってなかったもん。自由に握れるほどね。

それが感覚のある証拠。遊びというもの。5時38分か。まだ窯焚き終わらず。  出町光識



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~展覧会の告知~
開催企画:小名浜国際環境芸術祭
開催場所:環境水族館アクアマリンふくしま(福島県いわき市) 
開催期間:2012年9月15日(土)~11月11日(日)
*2003年に開催されてから今回で9回目。キッズアート展での関連企画で、
ぼくと福島県立博物館の連携で実行した、震災後に福島県内外(世界中)の、
子どもたちから寄せられた、アクアマリンへの応援する魚の絵メッセージカードを、
2012再構成展示しました。ご協力してくれた子どもたちありがとう!

他にも大漁旗デザイン展や地球環境の保全、海洋資源の持続可能な利用をテーマとした、
芸術作品を展示されます。 ぜひ福島へお出かけください。


【元気なアートコラボラボVol4 子どもと障害者∞アートの冒険】
 茨城県つくば美術館(Tsukuba Museum of Art Ibaraki)
 2012年10月16日~21日
  *小学生と障害者が出合いアートに遊ぶ。
   各アーティストによる楽しいワークショップを通して、
    交流から生まれるオブジェや絵画のグループ展。

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by ubusuna-art | 2012-10-20 05:41 | 日常(現世)

彩は夕暮れ20面相。

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夕暮れとはいったい何色の色が混ざっているのだろう。

言葉にできないと、こちらが思っているうち、色を変え、やがて闇に染まる。

まるでパレットの上で、いろいろな絵の具をチューブから絞りだして、

混ぜてくすんでいくような、それでいて昼間の汚れた悲しみをを包み込むような。

夕暮れは20面相。色という顔はない。



本日は愛知県岡崎へ搬入。

ギャラリー一草庵で、9月28日~10月9日まで器の展覧会。

住所は、 愛知県岡崎市洞町東前田10−3  TEL 0564-26-4851

明後日、9月28日初日在廊いたします。

震災2011に展覧会のお断りをして、延期となった企画展。

あのころよりも落ち着いた夕暮れの色のような色彩の塗り重ねが、

少しはできるようになったかしら。


そう思ってたところで、気づいたときには、もう彩の器が手元から消え、

皆さんのもとへいってしまうので、確認はできない。まるで夕暮れの色よう。


やがて星のように散らばった器は、まるで星座のように実際は結ばれている。

そのように身を焦がすような星のよう器であればいい。   出町光識


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開催企画:小名浜国際環境芸術祭
開催場所:環境水族館アクアマリンふくしま(福島県いわき市) 
開催期間:2012年9月15日(土)~11月11日(日)
*2003年に開催されてから今回で9回目。キッズアート展での関連企画で、
ぼくと福島県立博物館の連携で実行した、震災後に福島県内外(世界中)の、
子どもたちから寄せられた、アクアマリンへの応援する魚の絵メッセージカードを、
2012再構成展示しました。ご協力してくれた子どもたちありがとう!

他にも大漁旗デザイン展や地球環境の保全、海洋資源の持続可能な利用をテーマとした、
芸術作品を展示されます。 ぜひ福島へお出かけください。



◇出町光識うつわ展 ギャラリー一草庵
 9月28日~10月9日  愛知県岡崎市洞町東前田10−3  TEL 0564-26-4851
 (9月28日初日在廊いたします。)
震災の年に展覧会のお断りをして、延期となった企画が、今年は岡崎市で開かれます。
お近くの方はお立ち寄りください。掌におさまる小さめの花器など並ぶ予定。

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by ubusuna-art | 2012-09-27 06:53 | 日常(現世)

みっちゃん、みちみち。

道には本道、本線のほかに、曲り道、登り下り道、迷路、行き止まりなど、、まだまだあるだろうな。

そんなだから、どんなヒトでも悩み、自ら道に道先案内人などないのだから、

迷走迷路に不自由もする。

高村光太郎の【道程】じゃないが、ぼくの後に道はできるともいうのだろうか。


さて、ココロの師匠と過ごした数日。アートなどいうものに、ハイウェイや高速券もないし、

日常という生きてるカタチに、本人のどうしようもない不足を部分を、アートで補うしかない。

もちろん、どんなアートだって寿命があり、永遠ではない。(冷め過ぎか)

つまりは、自分の日常を自分のアートで、ココロの隙間を埋めるしかない。

主義も、金も、恋も、職も、それでも出来上がってしまう、隙間の闇。

その間に、オリジナルのアート光は、どうしても必要なんだろうな。


そう、何も無い。無いという充実の道。あるいは無意味という意味の遊び。

スーパーオリジナルの道。不二の道、ケモノミチ。ミチミチノモノ。。。。   出町光識



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◆◇◆◇展覧会のお知らせ◆◇◆◇
【出町光識 カップ・カップ・カップづくし展 ボクとコーヒーの香りの向こう側から】
会期:2012年7月3日(火)~16日(月・祝日)
会場:きらら館(茨城県笠間市・0296-72-3109)
http://www.kilalakan.jp/kasama.html
出展:コーヒーカップ・マグカップ・カフェオレボウル・コーヒーポット・プレートなど

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by ubusuna-art | 2012-07-07 11:50 | 日常(現世)

犬のように吠えるしかないバウバウ。

昨日は小学校にいった。総合的学習授業でのワークショップ。

ここ学校という、子どものいるところに呼んでもらえることは、感謝がつきない。

自分が何かをしてあげるとか、教えてあげるというよりも、

かつて、少年だったことをそこにいる少年少女から認識させられるから。

それから、あの頃からある小さな心に感じていた、他人に対しての(クラスメート?トモダチ?)

不思議さと、憤りのようなものは今も変わらない。どうしてみんな幸せになることを、もっと想像しないのだろう。

そうはいっても、ぼく自身が幸せだという自信はないが、

憤るほどの毒?独?をもつようじゃ、しかたないか。。。。バウバウ



夜中に映画を観た。本日の日常是映画劇場は、

【マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ(My Life as a Dog 1985・スウェーデン)




かつて少年だった、かつて少女だった、人たちには観てもらいたい映画かな。

久しぶりに観て、やはり深いあのころの感覚を思い出す。


子どもたちは、学校や教室にしばりつけることだけではなく、

自身で傷つきながら経験して、どうしようもなく選択し、

モノを観る視野を広げたり、その感じた感覚を伸ばすことが、

未来そのものじゃないだろうか。。。

なぜなら子どもは未完成でなく、あらゆるものをすでに抱えている存在だから。

だって、大人になっても、犬のように鳴くこともできないじゃないか。

ラッセ・ハルストレム監督のこの作品、ステキです。オススメ!バウバウ。   出町光識

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【出町光識 カップ・カップ・カップづくし展 ボクとコーヒーの香りの向こう側から】
会期:2012年7月3日(火)~16日(月・祝日)
会場:きらら館(茨城県笠間市・0296-72-3109)
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by ubusuna-art | 2012-07-04 08:39 | 映画・テレビ(寄り神)

心の器という色。

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本日から茨城県の笠間焼という、陶産地でひらく個展のお知らせ。

【出町光識 カップ・カップ・カップづくし展 ボクとコーヒーの香りの向こう側から】
会期:2012年7月3日(火)~16日(月・祝日)
会場:きらら館(茨城県笠間市・0296-72-3109)
http://www.kilalakan.jp/kasama.html
出展:コーヒーカップ・マグカップ・カフェオレボウル・コーヒーポット・プレートなど



半年ほど本格的にうつわ作品の色合いを変えてきた。

同じもを長年作ることは、あきっぽい自分には向かないし、

作ることで他人の真似どころか、自分の真似だって、苦痛にすぎないからね。

以前は織部や灰釉のように、土味をいかした渋いものや、

焼成時の釉薬の流れのコントロールの遊びにいそしんできたが、

注文以外ではその傾向のもは、極力作らないようにしている。(仙人じゃないからご飯食べるからさ。)

ここに歳を重ねてきて、目にキツイほどの明るい色彩や、

深みのある渋派手な色彩の塗り重ねに惹かれる。

その色とそれを描きだす傷の具合は、ぼくの今そのものだから。

新鮮な風は、何ものにも代えがたい。今と未来のまじった匂いがする。


歳月かさねた色づきや、
出会いのなかで傷つくことも、
どれもがみんな幸せの色。
家路を帰る夕暮れの空、
雨上がりの虹と役目を終えた雨傘、
昨夜の夢で吹いてた風の匂い、
どれもが同じとない、心模様。
どれもがぼくの幸せの色。
   


お時間のある方は、のぞいてみてください。お待ちしています。出町光識


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by ubusuna-art | 2012-07-03 06:21 | 展覧会(まつりごと)

闇にうち濡れる男

闇降る夜の雫に濡れて、見えぬ双峯山の頂の官能すら、底知れぬ恨みが蛇のようにヌルリととぐろを巻いて、葦沼の底に深く深く沈むごとく。。。それが私という男です。



田舎村の自然は、風も澄んで豊かですねと、東京からきた先生たち(文人)はいうけれど、

自然の正体とは、この上なく残酷なものです。なぜなら、私自身も自然という一部です。

その恵みの風すら、私は頬のたるみにあてることができない。風を感じたくとも、

ここまでひとりでは動いて来ることはできないのです。

自然というなかで、弱い者は常に、勝ち生き残る者の生贄にしか過ぎないという、掟があります。

身体が五体満足に、健康で生まれた者ならまだしも、奇形であり、丈夫でない私は、

赤子のようにひとりでは、動いては何もできないのです。

かんしゃくをおこし、泣きじゃくるコミュニケーションしかとれない、成長できない赤子です。

それでも唯一、自由がきき、動かすことのできる手があれば、その触覚を頼りに、

虫のようにモゾモゾと筆を走らせて、沼のように重く湿った布団のなかに生きても、這いつくばって、

書きつづけられる手紙という希望に、想いをつづる他ないのだ。そうしないと、

身体が松の木のような奇形どころか、頭までがねじ曲がって、おかしくなりそうなのです。

とても正気ではいられないのです。あのたしかに、川向こうにある地平線の遠くに見える、

万葉集にて恋に唄われた双峯山、女山男山すら、恨めしい人の恋路のようで、

憎らしゅうて憎らしゅうてしかたない。私がこんな醜く惨めな身体でなければ、

村の幼なじみの従妹にも、好きな想いも告げられようが、それはけして、

父母両親ともが許すことが無い。それどころか、娘の父親である医者が、罵りと怒りに震え、

家族に何をしでかすかわかりはしない。所詮は生まれながらの敗者である私は、

それらの感情を文字につづり、奇麗な花のように、あるいは万葉の言葉の衣を着せて、

東京の文人や文壇へと、投稿を書きつづるしかないです。

でも本当のところはそうでないのだ。。。。ほんとうのところそうでないのです。



ほら、朝しがた、母が野良の畑仕事にでる前に、食事だと仕度をしてくれた、

粥飯や漬物に目をやれば判る、万物の真理があります。

私を小馬鹿にする、うるさい虫くれの蠅すらが、粥の上につかり、交尾をしているではないか。

自然とは性と死という法のなかで、残酷なエロチシズムの詩に満ちている。

いや、ただそれら森羅万象の万物のように、私は女と男というふうに、

普通に生きてみたいのです。



*ある障害者の男のひとを思い浮かべて創作に書きました。   出町光識

オマケ、その障害者の愛した【万葉集】から。






***展覧会の案内***
出会いのシミ ~ある男との出会いから~】展
会期:2012年6月9日~20日
会場:ART FORUM JARFO(特定法人京都藝際交流協会)
京都市東山区三条通東大路東入今小路町81番地1F
Tel: 075-751-0044 Fax: 075-751-6644




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by ubusuna-art | 2012-06-16 15:26 | 民俗風土(産土神)

惚け犬と、宇宙散歩。

朝起きて、馬鹿のひとつおぼえの凝り性だから、相変わらず鯵(佐賀産)をさばいて、

醤油みりん漬けにしている。こんな寝起きに早くから魚をさばいていては、

自分は魚屋さんと変わるまいと思ったりして。他にも、切れ味の悪い包丁だって、

鮮度の違いや、身や脂の違いを感じ始めてきてしまったから、そう思うのもしかたあるまい。

料理のあとは、バスロマンのはいった風呂の残り湯で洗濯をして、老犬の散歩にでかけた。。。。。



惚け犬につれられ、畦道を散歩をするのは爽やか。

星たちの朝露が、丸い真珠のように草葉の、

ベットでまだまだお休みだから。

真珠の星たちをビーチサンダルの船で、

宇宙開拓するかと割り込めば、

指と指の間で星雲の味覚を楽しめる。

無重力にもう少しいくと、大きな惑星シロツメ星が、

衛星の三つ葉という星雲に揺れている。

すっかり汗ばむようになった。

蜂という宇宙人も飛んでるよ。

もう夏になるのだな。

ピンとした耳をたててはいる惚け老犬も、

夏毛の衣替えだけは忘れていない。

夏になるのだな。
   出町光識


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by ubusuna-art | 2012-05-29 09:13 | 散歩(遊行僧)

人間

産まれただけでは、ヒトは人にはなれない。

能力の有る無しを越えて、ヒトは人になるのだ。

産んだだけでは、親子にはなれない。

互いに育む関係こそ、血のつながり以上の絆。

国家、祖国、民族も、いわれも同じく、

ヒトは個の弱い存在だから引き寄せられはするが、

ただそこに産まれたということだけでは、

関係において育みも絆も成長していかない。

個がもつ信念こそが、縛られない新たな仲間をつくり、

悪平等への挑戦という浄化をおこなっていく。

力なくとも、精神で魂と肉体をしっかり繋ぎとめ、

すべての自由ために旅に出よう。   出町光識


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by ubusuna-art | 2012-03-17 09:52 | 日常(現世)

錬金術師の敗北感(科学空想風な話?)

ぼくはセントラルの東京中野に立っていた。

いわずと知れた東京は、中央主権の企業軍と国家軍が、

【賢者の意志】を金、金、金で手に入れろうとする修羅場である。


管理されたデモパレードというガス抜きをさせたり、テレビというピーマン洗脳機を駆使して、

脳をトマトジュース化して溶かす、軍上層部戦略はうまく事が運んでいる。



ぼくのような錬金術師のハシクレとて、(泥の錬金術師?)

その通称が錬金術師であれば、国家公認かそうでないかに限らず、

分解蘇生の術をくり返しながら、個人という存在の身体と魂を、

手に入れようとしている人体蘇生に身を焦がしていることは、いうまでもないこと。



西の古都から来たという、映像の錬胆術師と、ブロードウェイ通りで

インドカリーを食べながら、お互いの戦いについて話しているとき、

互いが参戦した、つくば戦場での【障害者たち】というラベルの貼られた(彼らを縛るお札の貼られた)

作戦遂行が任務完了か、敗北かの語りになった。


それはもちろん、若い彼からいわれずとも、答えは敗北である。

敗北とは何か。なぜ敗北なのか。。。。。


望みが高すぎるかもしれないが、【障害者】というラベルを国家軍が貼ったことにより、

彼らは安全な生活は、一見では手に入れたように見えるが、

キビシイ意味でいう、人間らしさや、個人という名前を手に入れてるかは、

はなはだ分かりきって、NOであろう。人に格をつけ差別される現状なのだ。




今月末にいく戦場は、ラッキーアイランドの南相馬。

これまた【被災地】【被災者】というラベルのお札を、電力企業軍や国家軍に貼られ、

身動きできない人柱や、個人名を失い、【被災者たち】【ラッキーアイランド県民】と、

いわしめられた状況を前に、ぼくのような錬金術師のハシクレとても、

それらの軍管理から個人をとりもどすことをしなければ、

自分がなんのために術が使えるかの意味がない。



ある福島少女がネットで呟いた。セントラル東京の軍に塗られたニセ青空の下で、

この3.11戦争から、11か月がたったと泣いていた。

彼女も多くの仲間を、ラッキーアイランドに抱えながら上京に、すこし感傷的なったのだろう。


まだ企業軍と、国家軍のつくった権力と利権の原子炉という(賢者の意志)は、

高温熱と放射能を発散させながら、ヒトのおこないをあざ笑うように、怪物として生きている。


街やダウンタウンで、軍に拾われ雇われた外人部隊兵士が、

毎日闘っていてくれている。(忘れてはいけない。)

そう、川崎シティの立ち呑み屋であったオジサンも、

軍の下請けをしているヤクザに雇われ、何度もいやいやながら、原子炉清掃員兵士となり、

バスにゆられていったと、呟いていた。。。。




今、ぼくらは確かに戦争をしている。

昔のように戦争とは、国と国の闘いだけであった時代は終わった。


戦争は選民主義の強者と、生まれたままの弱者、あるいは貧乏くじを引かされた弱者の闘いなのだ。



敵の正体は、ほとんどのこの国の民はわかっているはず。。。だが、

欲と恐怖で飼いならされ、戦う姿勢は見せない。

すっかり金で幸せを買うということに慣れさせられたから。

長い間のテレビというピーマン洗脳機により、ただちに危険はないという安心安全報道や、

日本は我慢、忍耐が美徳と歌い、プロパガンダにしてるからだろう。


すべての大人はいい訳すらせず、嘘をつく。

自分だけは損をしないように、嘘をつく。

知らぬふりして、自分を騙しながら嘘をつき、墓場まで持っていく。



もし、ぼくが自分という恐怖に打ち勝ち、本当に強い錬金術師(アーティスト)になれたら、

すこし泥くさいが、錬金術(アートの力)を信じて、あらゆる自由を奪うラベルとレッテルの、

お札のお呪いの効果をなくすために、人らしく生きる蘇生をおこなおう。


個人をとりもどそう。

軍から個人の名前をとりもどそう。

アートとは、個性のことではない。個人をとりもどすことに他ならない。


そのように思い、セントラル東京を後にして、核武装のつくれる東海村のある茨城にもどった。

メデタシメデタシ、妄想?のお話はおしまい?ははは   出町光識


さて、本日のオマケ。当初は『笑う原爆』というタイトルの映画です。



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by ubusuna-art | 2012-02-14 10:02 | 民俗風土(産土神)

ウミと毒薬(もうひとりの自分、鏡の友人へ)

儀式のように、フランス産の水を飲みながら、FMラジオからは、

クラシック音楽が流れている。できるかぎりの朝の日課。


クリアなペットボトル、(今日はボルビックだが)その水面が微妙に、

オーケストラの弦楽器の音色だろうか?音に揺れている。

それともぼくの揺れる心でかしら。


これらは優雅とはほど遠い。チープな168円の水と、ステレオでないラジオ。

それでも睡眠で乾いた喉に水を流し込み、耳から脳髄へと音を落とせば、

自己のウミも、毒薬も、洗浄される。自己浄化機能だろう。


これに似た機能でいえば、ヒトは自己のなかに、

多くの自分の分身を、役割分担として存在させなければ、正常には生きてはいけない。
(ここでいう正常とは、社会という関わりでの意味)

でないと、極度に視野が狭くなり、自己判断しかできなかったり、

多角的モノの見方、捉え方で見えてこない。客観視ともいえよう。


ヒトの目とは、見たいものしか見ようとしない、眼機能である。

監視カメラや、仏様のような半眼開いて空をみるなどという、

客観視機能はない。色眼鏡、タモリさんどうようにサングラスの鉄則かいな。(意味違うね)



画家という者が絵画を描くときに、描いたらそのキャンバスから距離おいて、

その筆圧だけで確かめるという本能行為をやめて、後ずさりして、

4足動物からヒトに進化しながら、脳を働かせ、全体を眺めるのに似ている。


もしくはその絵画を、美術館やギャラリーの壁にかけて、

アトリエとは違う空気に包まれたときに、はじめて描きたかったこと、描いてしまったことが、

絶望や希望の水平線に、見えてくるのに似ているのだろうか。


そしてどんな映画監督でもそうだが、冷静や情熱のふりや、仮面をつけて、

多くの自分を分身させて、状況の拡散吸収して、現場という協働作業で眺めながら、

動物園園長さんの仕組みで、自己判断を捌きでないようにおこなうのだ。



でもどうだろう。どんなにこのようなこと並べたところで、

今はぼくも、洗浄浄化中の身であるな。


ヒトという存在は、見たいものを見たいように見てしまうし、

ヒトとの関係を捌いてします。処理してしまう。

これは【美の正体】からは、もっともほど遠い醜悪である。


必ず生きながられていれば、傷というものを受けたりおいながら、

パッカリと開いた傷深くから、ウミや毒薬をダラリと、だしつづけている。



でもそれは、まわりは常に見ているしかできない。眺めているだけしかできない。

なぜなら他人事という、主役の違うドラマだからだからね。

冒頭の儀式のように、チープな168円水や、お手軽なラジオでも、

日課のように自己浄化しかないのよ。(他にも方法論はあろう。)



それにその他人の、イタイタシサに、ミスボラシサに、ミジメサに、ゴシュウショウサマに、

まわりもどれだけ傷つくのことか。。。。まわりはその修羅に手はだせないのだから。

それなのに春のように、抱きしめてくれと叫ぶのは、酷というもの。。。


これは自分のことでもあるが、アナタ!もっとも信頼するヒトという脳と、動物という嗅覚をもつ、

友人のことでもある。。。。裸の王様だよ。

まあ、王様は裸だろうが、服を着ようが王様なんだよ、気がついてますか?

ままでいいのです。ままで愛されているのです。まま、すべてを抱きしめればいいのです。(難しいけど)



今目下の荒れ狂う海、その崖からの落下の巻沿いや、

周囲を分かってちゃん行動で連れ込むことも、

また、他人との距離感がたもてない、アスペルガ―症候群としての特徴なのだろうな。


でも、ウミと毒薬という毒液は、自我中毒になるのが一番の末路なのだ。

そんな姿は見ていてツライ。。。よね。

(昔に、まだまだ女の子にモテモテだった頃。よくそんなこといれた気がするな。)



他人に見せるしかない自分。

他人に分かってもらうしかない自分。

そんなチープな自分は、チープな水をがぶ飲みして、

チンポの先から放尿してしまえ!

ほら、チープなラジオから、察したように高らかにクラシック音色が掻きたてる。  出町光識


ユウジンヘダケノオマケ。アノトキノアナタノカオ、オドロクホドニ、ジェルソミーナ。





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by ubusuna-art | 2012-01-25 08:39 | 日常(現世)


出会いはアート。アトリエでのアート制作と、夜な夜なの日常是映画劇場のご案内。出町光識の脳内ナビゲ―ション日記  


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