アート、コラボ、ラボラトリー。

ある小学校へいったときに、大いに盛り上がった先生との話。。。。。


昔とは違い、今の科学者はすべてを自分のみで研究するということはない。

ひとつのチームで研究をおこない、そのなかのひとつのパートを受け持つのがほとんど。

つまりは研究は個人作業ではなくなってきたのだという。

どんなに良い大学を出ようとも、頭が良かろうとも、人と組んで仕事ができなければ、

その肩書も才能も何も役には立たない。


もちろん、世紀にたったひとりいるかいないかの天才には、そんなこと必要ではなく、

性格が曲がっていようが、変わり者だろうがそれをも個性と認められ、

まわりが放っておかずに持ち上げてくれ、囲んでくれる。

このような場合のみ、ひとりを主張してもなり立つ場合はある。

これはほんとうのジニアスの場合に限るのだ。


だから学校で教えていても、この子は頭が良い子だといったところで、

ほとんどがそのあたりまでの才能、つまりはほとんどがチームで活動する科学者どまり。


だから、学ぶことの真意とは、どんなときでも、どんなとこでも、仲が悪い良いに関係なく共存し、

そのなかに身を置き。貪欲に自分で学んでいくことを教えたいと、おっしゃっていた。



これはアーティストも同じですと、返答をしました。

コラボ(チーム)という意味は何を意味するのか?

アトリエで自分の描きたいものや、作りたいものを制作するという、

ひとり遊びの子どものようなことでは、もはやアーティストといった時代ではない。

他人との関わりの遊びを知り、次にチームを組みながら悪ガキとして何かで遊ぶようなことに、

創作活動も、作家活動も発展していかなければならない。

現代に必要なのは、子どもの感覚と、大人の感覚の両方を所有したヒトになるのだろう。



でも、これはある程度の才能。。。。。の話。

ほんとうのジニアスであれば、これに属さない。。。。。

科学者でなくとも、アーティストでなくとも、これは誰にでもいえるだろうな。


哀しいかな、つまりはチームとか、ラボラトリーとかいう社会のなかで、

ヒトは共存するという生き残るには必要なのだろう。。。ある意味。。。ですが。



最近のヒトや自分がよくつかう、ヒトへ対しての【好き嫌い】の浅はかな感情の口走り。

ヒトへ対しての【それぞれですから】という自己納得の思考停止の口走り。

そのようなものが市民権や、自由権のように口走るのは、どうでもよいことなのだ。

その様なことを越えたなかで、誰かと生きたり暮らしたりすることで、

ほんとうのジニアスでなくとも、ヒトに揉まれに揉まれて、

才能が発揮できることもあるのでないか?というのは、

ぼくが凡人だからの希望だろうか?夢だろうか?


あなたはジニアスですか?          出町光識



追記 お金という財産も、ある意味では才能といえ、置き換えられます。つまりここに書いたような事は、お金のあるヒトには一切関係がありません。それもこの世の事実なり。


応援のクリックポチッとな。


人気ブログランキングへ

f0230584_13185324.jpg
出町光識ホームページhttp://www.mitsunoridemachi.com/
[PR]
by ubusuna-art | 2012-02-09 09:48 | 日常(現世)


出会いはアート。アトリエでのアート制作と、夜な夜なの日常是映画劇場のご案内。出町光識の脳内ナビゲ―ション日記  


by ubusuna-art

プロフィールを見る
画像一覧

最新の記事

雪、消えてしまえばその寒さす..
at 2013-02-06 10:25
ブログ留守がちですが。
at 2013-02-05 21:17
魅力ある教育、それがない現実。
at 2013-02-01 10:21
ワークショップとダイエットから。
at 2013-01-24 15:11
黙して契れ。兄弟、母、そして..
at 2013-01-17 18:53
あけおめ、もうすぐ個展です!
at 2013-01-05 20:07

ブログパーツ

その他のジャンル

記事ランキング

以前の記事

2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
more...

ブログジャンル

映画
アート・デザイン

タグ

検索

画像一覧