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卓袱台ボレロ、タチ アキヒロを見にいく。

【健全なる精神は、健全なる身体に宿る】 誰がいったか、そんな誤訳の言葉がある。

本来のローマのユウェナリス(60年~130年)の言葉は、

【健やかな身体に、健やかな魂が願われるべきである】のが直訳らしい。

健やかな身体とはなんだろう。。。。


『健やかな寝顔の赤ちゃんね。』 あるいは、

『お子さん、健やかに育ちましたね。』のように、つかわれるのかな。



卓袱台ボレロ、タチ アキヒロを見にいく。_f0230584_1383637.jpg

10月1日、キッド・アイラック・アートホールにて、

第1回 不問座公演 【タチ アキヒロ】を見にいく。

画家であるタチアキヒロさんという、ある意味では、異論があるだろうが、

本人いわく、健やかでないような育ち方、あるいは日常を恨むという、

健康的に病んだ精神。あるいは病んだ肉体の持ち主といえよう。


その化けの皮を脱皮するかのごとく、メタモルフォーゼする49年(49歳)の肉体と精神。

人生の封印を解いての初舞台である。なぜ、画家が踊るのか?

そのような疑問が周囲にはあったらしいが、踊らずにはいられないのは、若輩ながら頷ける。


自己表現という怪物に憑依された、美の奴隷なら、自己と他者の共感の快楽。

その対の孤独という、寂しさの酔いどれ絶対王者の、恍惚からは逃れられない。

美の正体を望みみたい者、あるいは怪物と契約したものに、成仏などはないのだから。


その自業自得という表現には、他者との共感の間合い。あるいはライブ感の同体は、

常にジレンマとして、表現しようとすれば、必ず顔をだす。

アトリエに籠り、キャンパスへ向き合う、筆との筆圧では、感じ到達得ないものだ。


簡単にいってしまえば、多くの場合で、似たような事として、子どもの頃、

無条件にすぐさま側にいて、描いた絵を褒めてくれた、無償の愛である母親などに、

包まれる安堵は、記憶として色あせないだろうが。それは快楽同感としては永遠でないのだから。

だから画家でも、踊らずにはいられないのでないだろうか。


もう少しいえば、タチアキヒロという人が、自己解放に一歩近づいたといえ、

友人やファンなら、ともに祝杯をあげたいものだ。

あの誰も真似できない、タチアキヒロの色彩に、魅せられたのら、どれほどの暗闇の黒から、

あの淡く儚い色が放たれているのかは、想像するに容易い。


だから踊りを見ているこちらは、目の前にいるタチの肉体と精神の統一された、具合。

その具合というものに、色彩と同じように滲み、溶け合うべきでないだろうか。

そんな踊りだったに違いない。




【愛と哀しみのボレロ】をあえて褒めすぎであるが、和製として不二といおう。

タチ、18番の踊りのできあがりである。そのような産まれる産婆場に、我々いたのだ。



卓袱台ボレロ、タチ アキヒロを見にいく。_f0230584_1345156.jpg

エロエロボレロ?のはじまりは、闇の中から黒の着物をまとい登場。

まもなく、機械的でいて、鳥のような求愛ダンスをするのだが、

もはや動きは、タチでも、人でなく、化け物とかした。

見事である。その後、嵐のような夕立の暗い闇で、黒い着物から脱皮し、

赤の着物のまといと、小面(女系の能面)をつけいた。タチ自身の内面へと裏がえりだ。


あとはいうまでもなく、雨の湿り気と、タチの肉体の体液から、畳の匂いがしてくると、

夕立という、晴れのつかの間、その魔の闇の刻。ここでの性のまぐあいとなる。

衝動というものは、愛と肉欲からは常に切り離せない。激しくいきるという業の響きが、

タチの踏みならす足。あるいは舞い跳ね上がった卓袱台に打ち鳴らす。

力強い踏みならしは、タチの受け入れ難いながらにも、受け入れていく、

地団駄のタップダンスだろうか。それとも舞踏のもとにあるであろう、

ナチズムの行進ように、恐怖すら感じよう。


エロスというのは、生産性の行為といえようが、その真逆としての影もいえる。

そのさまが、バレエのようで舞踏のようなダンスで、うまくバランスがとれて、こちらに迫る。


後半、性交のまぐあいの後に、タチの着物から肌蹴た、厳ついスネ毛の足を両手で擦ると、

受け入れる自身の心が覗けみえてくる。怖い。


しかしながら、この夕立というヤツが厄介で、日の光の照る場所とは違い、

神や仏がいるのであれば、その仕業の悪ふざけで気の迷いのような刻である。

影にひそむ者、あるいは影に満ちている者には、残酷な偶然の刻に哀しく濡れる。


しかし、タチはそのどちらにもなりきれない、心の両性具有という自分があろうとも、

その満たされない欠けた部分を、欠片を集めるように、

肉体、精神、才能、色彩、運動の構成をもって、真実以上に演じきり踊る(生きる)。


冒頭の【健やかな身体に、健やかな魂が願われるべきである】の言葉は、

このような溢れる才鬼の持ち主が、踊りきった後、清々しい顔や姿をいうのだろう。

汗が滲む肉体。人でない顔が暗闇にとても眩しかった。

あのような自身の立つ、健やかな顔は久しく見たことがない気がする。


劇中の夕立の後に、風鈴の音が鳴る。誰しもに風が吹き、聞えるようようだが、

そのような音ではない。選ばれた者だけのなりきれない、みたされない、

心の揺れ、その響きに違いない。



まだまだ、タチさんは遠くへ飛べる。それは自身の自由であり、

すべての者の自由のためでもあろう。

悪き友人?のひとりとして、アナタの才能に嫉妬と悔しさを噛み殺し、いいましょう。

称賛のエールと拍手を送りたい。アナタは宿命と運命に愛されていますよ。

誰でもが真似はできませんよ。   では、すべての自由のために。   出町光識


追記 タチさん!今井夫妻は良きブレーンですね。三国一の幸せ者だな。
    先生にもよろしくお伝えください。抜群ですよ。ステキ。
    
卓袱台ボレロ、タチ アキヒロを見にいく。_f0230584_13185324.jpg
出町光識ホームページhttp://www.mitsunoridemachi.com/


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by ubusuna-art | 2011-10-03 13:01 | 音楽・観劇(神楽)


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