写真と焼き物の関係の仮説

ブリューゲルを見ていて、写真に夢想がひろがる。。。。



写真誕生の頃。。。。写真は絵画よりも正確にモノを記録した。

職業画家は青ざめて、魂が吸い取られるとでも、

嘯いたのだろうか。

(そういえば昔、【血を吸うカメラ】という映画があったな。)


被写体やその周辺を、平等に差別なく記録するということは、

アカラサマで、明らかに赤裸々である。


それを手にして見てしまった、権力者や、画家も同じように苛立つのか?



誰もが同じように簡単に正確な情報を、手に入れられるという科学は、

今でいうインターネットと似ていて、

ネット社会が心の闇に近いのも、呪術的なイメージが付きまとうのも、

写真に魂を吸い取られるという、現象を生んだことと、同じ意味合いだろう。


写真は銀板、あるいはフィルム、あるいはデジタルーチップへと、

簡単に撮影を多くの人が同じように、絵よりも正確に映し出せて、

赤裸々な疑似的絵画ができあがる。オマケに絵画と異なり、

写真の特性で、複製コピーをドンドン生みだし、

絵画が版画を生んだものの。それ以上にクローンをつくり、

多くの人が購入したり、消費したりで、情報を得のだ。(益々ネットみたいだな。)




そこでオイラは陶芸家、焼き物の話に飛ぶ。。。。


陶芸も簡単に大量につくることが、科学と時代のおかげで可能になった。

手びねりから、蹴りロクロ。そして電動ロクロへ。

木々を伐採し薪の準備をしなて、薪窯で焼かずに、

お手軽な電気窯でスイッチオンだ。

そんなことで、焼き物の器も、大量のクローンの生みだせると仮説をたてれば、

写真という情報伝達の発展同様に、どんな情報をのせるのかと、

撮影者、発信者のように、仮説だててはどうだろうか。


メッセンジャーとしての陶器。陶芸。
(もちろん大昔は祭器なのだから、神に伝えるものだったろう)



写真のもつイメージ伝達よりは、焼き物は抽象表現なだけに、

曖昧模糊だが、数の論理だけでいえば情報が伝わる。

職業画家が、描きたいものを見つめる眼差しを手に入れ、

アーティストへとなっていったように。

あるいは独裁者、国家というものに報道写真、

インターネットの写真や映像が、ペンという言葉以上に写真(画像)が剣をさすように。

メッセージは必要かもしれない。ただ作るのなら、

ぼくら陶芸家は機械人間化だから。。。。



昭和の頃の昔、写真は【焼きまわし】と呼ばれた。

写真も焼き物だ。

陶芸という焼き物も、進化せず未だに夢見るだけでよいはずがない。

それとも焼き物が、先祖がえりの時かもしれない。


陶芸家の夢想か?      

いや、立派なメッセージがなくとも、いい。

それなら家族の思い出記録の写真でも、いい。

もっと、生活に密着した陶の存在、

そんな焼きまわしのクローンを。。。   出町光識




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by ubusuna-art | 2011-02-15 15:26 | 日常(現世)


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